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2002-02-12 「わが人生の時の人々」(石原慎太郎著)

_ 私は石原慎太郎の本をほとんど読んでおり、石原ファンをもって自認していた。しかし、この本を読んでその気持がさめていくのを感じた。石原の語り口は特に変わったわけではないが、突然老醜が気になった。要するにこの本は、自分がいかにすごいことをやって、大物に気に入られ、強敵と戦ったかという自慢話に尽きる。しかし、傲慢不遜は石原の代名詞のようなもので、今までよかったものがなぜ突然許せなくなったのか。

_ 参議院に300万票をとって当選したとき新聞に、自分ほど首相にふさわしい人間はいないと書いたが、あれは痛快だった。そのとき彼はまだ36才だった。年功序列の日本社会において若手が虚勢を張って老人支配に挑戦する姿はさわやかだ。しかし、それから40年近くの歳月が流れ、権力のひとつの要にいる石原が同じ言葉をはいても印象は違ってくる。さらに同じ自慢にしても30代のそれと60代では意味が違ってくるように思える。30代の自慢は視線が未来に向かっているので自慢が本来もつ醜さが隠される。60代の自慢はこれと異なり、自分がため込んだ財宝を見せびらかすようないやらしさがある。語っている人間が美しさを失っているからかもしれない。

_ 昔、黒澤明監督の自慢話を聞きながら、なぜ世界が天才、巨匠と認める人が取り巻き相手に同じ自慢話を繰り返し、聞き飽きたはずの賞賛を確認しなければならないのか不思議だった。石原も同じような状況にあるのではないか。

_ 三島由起夫は「豊穣の海」の第4巻「天人五衰」で老醜をテーマにした。石原は「わが人生の時の人々」の中で三島の晩年の作品における才能の枯渇に言及していたが、反対に三島は現在の石原がはまっている罠を彼の最後の作品で予言していたのではないか。


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