_ 韓国最大のヒット作ということで期待していたが、がっかりした。
_ 青春ものとヤクザ映画が合体したような作品で、後半は日本の一昔前のヤクザ映画に似ている。しかし、ヤクザ映画に必要な大事な要素が欠けているように思った。
_ 日本のヤクザ映画は(色々バリエーションはあるが)義理と人情の相克を描く。「義理と人情を秤にかけりゃ、義理の重たい男の世界」と高倉健は歌うが(東映の昭和残侠伝シリーズの主題歌)必ずしも義理が勝つわけではない。傑作「博打打ち・いのち札」では、鶴田浩二は女をとって組に敢然と反逆する。最後の大立ち回りの場面、鶴田は瀕死の女を抱きかかえて血の海の中を賭場の中央の祭壇に向かい、神酒の壷を日本刀で打ち砕く。
_ この場面が感動的なのは、ヤクザ組織の中で生きてきた男にとって組に反抗することが自殺に等しいことが見ている側にも分かっているからだ。そのために映画は任侠道を説明しなければならない。それが宗教のように組員の生き方、死に方の細部までも規律していること。ひとつの会社を辞めて別な会社に勤めるような安易な話ではないこと。細部がどれだけ確かに描かれているかによってヤクザ映画のよし悪しが決まる。組織の序列、儀式、言葉使い、食事の作法まで。これらに忠実だった男が、組を敵に回し任侠道を捨てることがどれほど大変なことかが分かってはじめて男の女に対する愛の重さ、深さが分かるのだ。
_ チングは幼なじみの友情を丁寧に描いている。小学校、高校のエピソードが語られ、やがて2人の男は別な組の幹部になっていく。そして、親友である2人は殺しあうことになる。これは先ほどの義理人情のパターンでいくと、組への忠誠と親友との友情の相克の話になる。ここで不満なのは義理が描けていないことだ。組は単なる利益集団のようだし、そんな組のために親友を殺すとすれば、そもそもたいした友情ではなかったのではないか。