_ 1999年製作の韓国映画。ネタバレあり。
_ ユリョンは韓国が極秘に建造した核ミサイルを搭載した原子力潜水艦である。ユリョンは日本の潜水艦と接触事故を起こしたためその存在が日本とアメリカに知れ、両国の圧力により自爆させられることになる。航海の目的を察知した副艦長は艦長を殺害し艦をのっとる。日本海で遭遇した日本の潜水艦二隻を撃沈し、10発の核ミサイルを日本の10大都市に向け発射しようとする。これをヒーローのイ・チャンソクが阻止するのだが、アメリカ映画などと違って考えさせられる。
_ なぜ日本を攻撃するのかは、特に理由が示されず、唐突な感じがしたが、最期の場面で納得した。自爆装置が作動し、回復不能な損害を被った潜水艦の中で、副艦長とイ・チャンソクが対峙する。イは「核で歴史は変えられない。待っているのは報復だけだ」と言い、「まだ準備が出来ていない」と続ける。その直後、日本の潜水艦から魚雷が発射されたことが告げられる。副艦長は言う。
_ 「魚雷に負けたのではない。強くなることを恐れた我々自身に責任がある。強くならなければ踏みにじられて生きるしかない。つい最近まで、我々の歴史はあらゆる屈辱に耐えてきた」
_ 「まだ終わっていないのだ。一日で歴史は変わるか?いつまで屈辱の歴史を生きろと?」
_ 「傲慢なアメリカ野郎や日本野郎に五千年の歴史は渡さない。”幽霊”は我々自身で、我々の運命(ハン)だ」
_ ここは感動的だ。多少韓国の歴史を知っている人間にとっては、日本に対する復讐が民族の意志であることが分かる。この映画を観ていた韓国の人々はせめて映画の中だけでも日本が核の火に焼き尽くされるところを見たかっただろう。しかし核ミサイルのボタンは押されず、ユリョンは海の藻屑と消える。
_ 私がこの映画から学んだことは、日本は遠からず核武装せざるを得ないだろうということだ。韓国、北朝鮮、中国等に対する罪は謝ってすむものではなく、謝るべきものでもないだろう。副艦長が言うように、強くなることを恐れることは罪なのだ。歴史の屈辱は報復でのみ癒され、報復を防ぐのは強さだけなのだ。イ・チャンソクは決して日本の非武装中立論者のような無責任な平和主義者ではなく、現実主義者だ。彼は多分副艦長と心情的には共通のものを持っている。ただ現状認識が違うのだ。まだ報復のために機は熟していない。今やれば報復されるだけだ。
_ 韓国、北朝鮮が核武装したとき日本に出来ることは何か?彼らの核をなるべく使いにくくすることだ。イ・チャンソクのような冷静な現実主義者が過激な考えをもつ人間に対して、日本に核攻撃を仕掛ければ核の報復がくる、祖国のためにならない、といえるような環境を作ってあげるのだ。
_ 福田官房長官の最近の発言はそのための地ならしかなとも思う。日本人の核アレルギーというのは、病的で何かのきっかけで軍国主義に転じる。その日は近い。