_ 結局出版されなかったが、長編小説らしきものを書いてから他人の小説を読む意欲が薄れてきた。流行の小説を手に取るのだが、50ページも読まないうちにいやになり放り投げてしまう。これまで看過していたような細部に引っかかってしまうのだ。
_ 幸田真音の「有利子」という経済小説を読み始めた。主人公の財前有利子は証券会社の個人客向け投資アドバイザーである。その有利子のところに2500万円のキャッシュを持ち込み1週間で倍にしてくれと三条という老人がやってくる。それは無理だという有利子に対して三条は「見掛け倒しもいいところだ」と非難する。キレた有利子は「三条様」というのをやめて突然「じいさん」と呼ぶ。
_ いくらなんでも客に対して「じいさん」はないだろうと私は思う。ため口を否定するわけではないけど、ため口が可愛いのは下の者が上の者に向かって言う場合で、有利子は投資のプロであり相手は金持かもしれないが素人の老人である。テレビ番組で老人に「おじいさん」と呼びかけるのが失礼なことだと言われる昨今、有利子の態度は非礼以外のなにものでもない。作者はこれが面白いと思っているのかもしれないが、そのような感覚の持ち主が書く小説はロクなものではない、と思い読むのをやめた。
_ 昔だったらこんな小説でも読み続けていたかもしれないが、細部をおろそかにする人間には立派な小説は書けないと言う認識に至ったので、無駄な時間を使わなくなってよかったと思っている。しかし最近の小説はこの類の欠陥品が多い。
_ 今、すばらしい作品だと思って読んでいるのが倉橋由美子の「よもつひらさか往還」で、言葉の重みが違う。ふと、倉橋由美子と川上弘美の文体が似ているように感じたが、文芸評論などでこの二人を論じたものなどあるだろうか。