_ ネタバレあり。
_ 北野監督の作品は全部観ていて、その殆どを劇場で観た。だから北野ファンと言えるのかもしれないが、最近の作品は嫌いで、映画祭の外国人審査員におもねった感じがいやだった。今回も文楽をテーマにするというので、またあれか、と思ったが観にいった。
_ 社長の娘との結婚式場で松本は婚約者であった女性が自殺を図り精神に異常をきたして入院していることを友人から聞かされる。彼は会場を抜け出して病院に向かい、結婚式は流れた。ここで私はなんと無責任なと思った。しかし、この映画は責任などというものを超えた世界を描いていることにやがて私は気づかされた。
_ 松本は彼女を連れ出して放浪の旅にでる。美しい自然を背景に赤い紐でつながれた二人はひたすらどこへという当てもなく歩きつづける。
_ ここである評者は「ディスカバー・ジャパン以外のなにものでもいない」という。「HANABI」の自然描写については私もそう思った。しかし、「DOLLS」の映像の美しさには必然性があるように感じた。二人が歩いている世界はすでに現実ではなく、狂気の描く世界で、やがて死が全てを終わらせることを美が予告しているのだ。
_ 文楽の背景となった世界と違い、障害のない現代において本当の恋は描けないのではないかと私は考えていた。それは障害の存在によって極限まで高められたエネルギーが狂気のような恋に結実するという物語が作れないということだ。でも恋が狂気であり、それが美しいのであれば、観客をその最も美しいところへ途中を省略して連れていってもいいのではないか。北野監督はそう考えたのではないか。
_ この作品の三つのエピソードは常識に縛られている人間には理解できないだろう。たとえば深田恭子が扮する人気歌手のおっかけ男の話。彼は歌手が事故で怪我をして引退したとき、彼女の美しい姿を永遠に脳裏にとどめるため自らの目をつぶす。目が見えないと言う理由で他のファンには許されない歌手との再会を彼は果たす。彼が歌手に手を引かれてバラの花園を散策する場面はあまりにも美しい。この、いわゆる絵葉書のような美しさは、花園が現実でないことを示している。ここでは非現実的な美が必要だったのだ。
_ 三つのエピソードの恋に北野監督は理由をつけない。なぜ恋をしたかは本来あまり意味のないことなのだ。理由はなんであれ、狂気のレベルに達した恋をカメラは正面から捉えていく。そして美しすぎる自然の描写が、恋のはげしさを伝える。これは映画にしか出来ないことかもしれない。