_ 2003年X月5日 日朝国交正常化交渉は遅々として進まず、国民の関心は大銀行の国有化に移っていた。新潟の港町Aで奇病が発生したのはそんなときだった。最初はインフルエンザのような症状だが、やがて嘔吐や下痢が激しくなり、最後は身体の穴という穴から血液や体液が流れ出して死に至る。
_ 2003年X月7日 最初の死者が出た。国立感染症研究所はエボラ出血熱の可能性があると考え、CDC(米国疾病センター)に検体を送って検査を依頼した。
_ 2003年X月10日 CDCからDNA解析の結果が報告された。その正体はエボラ出血熱ウィルスとインフルエンザウィルスを合体させたキメラであった。死亡率50-90%のエボラ出血熱に遺伝子操作でインフルエンザの空気感染する能力を付加した細菌兵器だった。A町は自衛隊によって包囲され、町に入ることができるのは宇宙服のような防護服を着た者に限られた。
_ 2003年X月11日 政府首脳、内閣調査室、それに自衛隊と民間の感染症の専門家を交えた会議が開かれた。そこで発病の1週間ほど前にA町の上空を大型の模型飛行機が旋回し海の方向に去っていったこと、偵察衛星の写真から北朝鮮のものと思われる潜水艦がちょうどその頃A町の沖合いにいたこと等が報告された。エボラウィルスについては、まだ治療薬やワクチンは開発されておらず、開発には少なくとも年単位の時間が必要との専門家の意見が述べられた。
_ 2003年X月12日 A町の人口の8割が発病し、その7割が死亡した。東京と大阪でも患者が確認された。
_ 2003年X月14日 諸外国は日本発の航空機の着陸を拒否した。東京と大阪から大量の難民が地方に流れ出し、その結果感染者は全国に散らばることになった。
_ 2003年X月20日 全国の患者数が一万人を超え、死者も三千人を超えた。CDCの予測では、2ヶ月後には患者は三千万人死者は一千万人とのことであった。最悪の場合日本の人口は1割になるという専門家もいた。北朝鮮の赤十字から援助の申し出があったのはこのような混乱の最中であった。北朝鮮は防衛目的で細菌兵器の研究を行っており、問題のウィルスに対するワクチンを300万人分無償で提供する用意があるとのことだった。
_ (続く)