_ CF撮影のため東京に来た元有名スター、ボブ(ビル・マーレイ)と夫の仕事についてきたシャーロット(スカーレット・ジョハンセン)は同じパークハイアット東京に泊まったことから不思議の街東京での数日間を共にし、互いに淡い恋心を抱く。
_ 渋谷のシネマライズで土曜日の17:15の回を観たが満席で立ち見が出た。観終わったときはあまり感心しなかったが、今は結構面白かったと思っている。
_ 「ローマの休日」の東京版のようで、「ローマの休日」ほどドラマチックでないので(アカデミー賞を取ったが)脚本だけをみればつまらない作品かもしれない。脚本には描けなくて映画にあるものは東京の映像でそれは面白い。歌舞伎町の夜景、渋谷のスクランブル交差点、ゲームセンター、パチンコ屋と定番の東京ではあるが。いずこも夥しい人、喧騒、色彩に充ち「ブレードランナー」の未来都市のようである。もっとも私にとってこれらの光景はめずらしいものではなく、わざわざ映画で見るほどのものではない。
_ しかし、ボブやシャーロットの視点で見ると世界は一変する。東京は「混沌」という言葉に形を与えたらこうなるだろうという都市なのだ。それは都市自体が生命を持っているかのごとく自在に発展・変身し、人が作るものではないから人の手では止められず、どこまでも(多くのアニメに描かれているように破滅するまで?)変化していくのではないか。
_ この映画に描かれた東京の住民もみな少し変である。誰もがマトモな英語を話さないのはいいとして、やたらテンションが高く、エネルギッシュでゴーマンである。一昔前のあいまいな笑いでしか自己表現できなかった民族とは異なる人々である。
_ このような描き方を侮蔑的と感じる日本人がいるようだが、それは違う。ソフィア・コッポラはボブやシャーロットの倦怠の対極としてデフォルメされた東京をもってきたのだ。これは我々がエルビス・プレスリーの猥雑とエネルギーに圧倒された時代を彷彿させる。そうなのだ。この映画は世界のクールの中心が東京であることを宣言しているのだ。
_ Lost in Translation の translation は言語の翻訳だけを意味しているのではない。それは文化の解釈・理解を含み、ボブとシャーロットは異文化(それもクールな)の圧倒的な迫力に当惑してるのだ。