_ 「市民ケーン」と似ていると思った。しかし、かの名作にははるかに及ばない。
_ 「市民ケーン」は、新聞王ランドルフ・ハーストが死ぬときにつぶやいた”rose bud”(薔薇のつぼみ)という言葉ではじまり、そのキーワードで彼の人生を解明しようとする。
_ 「アビエイター」も”quarantine”(伝染病予防のための隔離)という言葉がキーワードになる。この言葉は、ハワード・ヒューズの強迫神経症(過度の潔癖症)の代名詞のように何回も映画の中でヒューズ役のデカプリオが口にする。
_ 「市民ケーン」では、最後に”rose bud”の意味が明かされ、それまでに語られたハーストの人生に別な光を当てる。人生にとって何が一番大切なのかを考えさせる結末だ。
_ これに比べると「アビエイター」のキーワードは作品のテーマと結びつかない。強迫神経症はヒューズの個人的な問題でそれは観客が共有できるものではない。華麗な実業家が病んだ一面を持っていたという事実を描くだけで、観客からすれば強者にも弱点があったという興味本意な関心しか抱けない。
_ デカプリオの演技はヒューズの弱い面を出したときは良かったが、強い実業家には全く見えなかった。また「市民ケーン」と比較して悪いけど、製作時監督主演のオーソン・ウェルズは25才。老け役まで見事に演じていた。天才だからしょうがないが、いやになってしまう。