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2002-04-16 自爆テロと三島由起夫

_ 自爆テロをアラブに持ち込んだのが日本人だというのは結構有名な話だ。それは1972年5月30日のイスラエルのロッド空港襲撃事件で、26人が殺された。テロリストは日本赤軍の奥平剛士、安田安之と岡本公三で、岡本だけが生き残った。岡本はアラブ世界の英雄になった。

_ ロッド空港事件以前にもアラブでテロやハイジャックはあったが、みな犯人が生きて帰ってこようとするものだった。日本赤軍の三人のテロは敵の中心部にしかけたもので生きて帰れる可能性はゼロだった。このような行動をイスラエルとの抗争に無関係な日本人がとったことにアラブ世界は衝撃を受けた。これが後にジハードと結びつき今日の自爆テロになった。

_ では奥平たちはこのような方法を誰に学んだか。1969年全共闘の活動が最も過激になったころ安田講堂での有名な攻防戦があった。これを見ていた三島由起夫は、誰かが安田講堂の上から飛び降りて死ねば本当に革命が起きると政府要人に注意を促した。しかしそれは杞憂でそのような勇気のある者はいなかった。翌1970年11月25日、三島由起夫と森田必勝が腹を切り衝撃が日本を走った。

_ ほとんどの週刊誌が特集号を出し(週間プレイボーイまで)、それが駅の売店から数時間で姿を消していった。既成右翼の反応は鈍かったが新左翼の一部が三島たちの行動を評価し、京都大学のキャンパスには三島たちをたたえるタテ看が立った。その当時奥平と安田は京大工学部の学生だった。

_ 安田講堂で誰も死ななかったように日本の左翼には自爆テロの伝統はない。戦後右翼も三島以前は同様だった。だから三島事件は誰にとっても衝撃だった。

_ 奥平と安田が三島の後継者であったというわけではないが、三島事件がなかったらロッド空港事件もなかっただろう。三島のまいた種はイデオロギーや宗教を越えて繁殖し、昨年はWTCを襲った。三島の荒ぶる魂はこれをどう見ているのだろうか。


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