_ 野茂に関心を持ったのは、彼がメジャーに挑戦することを宣言してからだった。そのときのマスコミの論調は、野茂は日本球界の裏切り者でワガママなだけだというものだった。メジャーのマウンドに立てるかどうかもあやしく、3Aがせいぜいではないか、と言われていた。メジャーと日本の野球は大人と子供ほど違うと思われていた時代だった。
_ 近鉄時代の野茂はほとんど見たことがなかったが、手に入れた安定した生活を捨てて、より高い目標にひとり挑戦するという日本人にあまりない生き方に興味を持った。
_ 1995年5月2日の初登板は朝4時30分からBS1で放送された。自分が投げているかのように緊張して見ていたのを覚えている。そのあと長く勝てない試合が続いたが、6月2日に勝ってからは7連勝してすごかった。あの頃の野茂のフォークは大リーガーにとっては魔球に見えたようで、誰も打てなかった。バリー・ボンズなど1割も打てなかった。8月5日に1安打ピッチングをしたときアメリカの解説者が「自分が見たどんなノーヒッターよりすごかった。この男はこれから何回もノーヒッターをやるだろう」と言っていた。
_ 3年目になると、打者も野茂のフォークを見切ることが出きるようになり、簡単に勝てなくなった。そして、球団を転々と移るようになり、日本人の関心もうすくなっていった。私もいいファンではなく、毎回録画していた試合も負ければ見なくなった。でも、3Aに落ちても、解雇されても、表情を変えずに投げ続ける野茂の姿は美しかった。
_ 2002年、出発点のドジャーズに帰ってきた野茂を私も新たな期待をもって見ていた。最初のうちは勝てる試合を打線の援護がなく落とし続けた。その間石井が勝ち星を重ね、野茂の時代は終わったかのように見えた。しかし、そのとき野茂はすでに復活していたのだ。球速は落ちて三振は取れなくなったが、後半戦野茂は勝ち続けた。そこには昔の力まかせに打者を切って捨てる勇姿はなかったが、より深い味わいが出てきた。インタビューでは相変わらず無愛想で訥弁だが、彼の投げる姿は雄弁だ。
_ 今年の開幕試合、あのランディー・ジョンソンとの対決に完封で勝った。今年はワールドシリーズで投げる野茂を見ることが出きるだろうか。