_ ちょっと軽いイケメンの大学生(恒夫)が身障者の女性(ジョゼ)と恋をするはなし。
_ 良く出来た映画で、役者の演技も上手だったが、観ていて疲れた。身障者の恋ということにとらわれて普通の恋愛もののように楽しめなかった。
_ 何故だか考えた。先ず、一般的な恋愛についてみると、この年になると純愛なんていうものがないことは分かってくる。本人が自覚しているか否かにかかわらず、恋心の基底には現実的な欲望がある。それは、金や、名誉や、セックスであるかもしれないし、恋する側の空虚感だったりする。恋の真っ只中にいると分からないが、後で冷静に考えてみるとスタートラインはそんなものだ。
_ では身障者との恋愛はこれとどのように違うのだろう。ふつう身障者がよほど大金持ちか有名人でもなければ、身障者との恋愛はある負担をしょい込むことになる。それは普通の恋愛が何らかのプラスの要素を獲得しようとするのと違っている。ここで頭に浮かぶのは善とか愛(それもアガぺ)という言葉で、それに対してはえらいなーと思う反面偽善の臭いも感じる。他人(世間)から「いい人」と思われたいのか、又は自己陶酔しているだけではないか。
_ 映画の中でジョゼは、隣に住んでいるエロおやじの話をする。その男はジョゼに胸を触らせてくれればゴミを出してやると言う。ジョゼはその取引に応じた。それをなじる恒夫にジョゼはあなたはどこが違うのと問う。
_ また考えてみよう。ジョゼがかわいそうという理由で結婚を申し込む男とジョゼの胸を触りたいからゴミだしを手伝う男とどちらをジョゼは好むだろう。何れも取引だと考えると、前者はマイナス(障害)でプラス(結婚)を買うことで、後者はプラス(胸)でプラス(ゴミだし)を買うということだ。多分ジョゼはマイナスを売り物にしたくないだろう。それは屈辱だから。
_ この映画で恒夫はジョゼに何を求めていたかは判然としない。それは健常者間の恋愛と異ならないものだったかもしれないし、恒夫の恋人がいみじくも言っていたようにジョゼは障害を武器に恒夫を奪ったのかもしれない。
_ 自分が恒夫だったらどう行動しただろう。どのようにすれば本当に誠実だといえるのだろう。などと考えていたらとてもくたびれた。