_ 復讐と愛をからめるのはやはり無理だったのではないか。
_ 前作で説明不足だった復讐の動機が明かされると思っていた。確かに Vol.2 は饒舌に何かを伝えようとしている。「総長賭博」並の情と憎悪の相克と言った評論家がいたが、それは違う。ヤクザ映画の傑作「総長賭博」は義理と人情の相克を描いたもので、それが傑作になったのは人情に従って生きることを困難にする義理という規範があったからだ。愛するものを殺すという不条理はこのような強い力が存在しなければ成立しない。
_ Vol.2のラスト近く、ザ・ブライドとビルが話し合うところで、これで二人は和解し娘と3人の幸せな生活を選び lived happily ever after となるのかと思った。むしろその方が自然だった。
_ 復讐劇はその動機に観客が共感できてはじめて成功する。昔の東映のヤクザ映画ががまん劇と言われたのは、主人公が敵のいやがらせ、迫害に耐えに耐えて、最後に反撃したからだった。反撃のエネルギーをためることによってより強烈なカタルシスが得られる。
_ タランティーノはこのパターンをふまずに Vol.1 では反撃からストレートに入った。それが是認できるかは Vol.2 にかかっていたのだが、全体を通してみて復讐劇は失敗だった。ザ・ブライドの動機は私怨でしかなかった。彼女は殺されたフィアンセさえ愛していなかったようだ。復讐は献身とあいまって崇高な行為になる。
_ この映画の夥しい殺戮はタランティーノの個人的な趣味のためにあったということか。