_ ラドクリフの圧勝と予想したが、野口だったら勝てるかもしれないと思って見ていた。意外なことにラドクリフは脱落したが、独走する野口にヌデレバが迫ってきた。東京オリンピックの時の円谷を思い出して、またあの光景は見たくないと思った。
_ 東京オリンピックの時私は高校生で高校から券が配られ、女子砲丸投げを見た。太ったおばさんを見たという記憶しかない。マラソンはテレビで見たが、一つの場面だけが強烈に記憶に残った。それは円谷が抜かれた瞬間だ。
_ 鉄人アベベがゴールしてから、約2分遅れで円谷幸吉が国立競技場に入ってきた。しかし、そのすぐ後に英国のヒートリーが来た。疲れ果てた様子で後ろを振り返ることなく走る円谷にヒートリーがひたひたと迫る。そして、第3コーナーでスピードを上げたヒートリーはするすると円谷を抜き去った。その光景は、私の記憶の中ではサイレント映画のように音がない。
_ しばらくして、円谷はあの有名な遺書を残して自殺した。「父上様、母上様、三日とろろ美味しゅうございました。干し柿、もちも美味しゅうございました」で始まる遺書だ。まだ戦後が終っていない頃、国民の期待を一身に背負った実直な自衛官が選んだ道だった。オリンピックで抜かれたことが直接の原因ではなかったのだろうが、思い出すとあの光景と自殺が重なってしまう。
_ あれから40年が経って、日本の若者は変わった。今回のオリンピックを見ても逆転負けは少なくなり(以前は日本選手は最後で余力がなく逆転されることが多かった)、反対に最後に抜いて勝つパターンも出てきた(女子800メートル自由形の柴田亜衣とか)。負けた連中もそれほど悲愴感はないだろう。負けても競技を楽しんだと言って批判されたシドニー大会の女子競泳陣の精神がいい方向で生かされているようだ。