_ 「富豪刑事」の神戸美和子は「下妻物語」の竜ヶ崎桃子と同様に浮世離れしたキャラクターだが、見かたによっては180度違った人格なのかもしれない。それは他人とのかかわり方を見ると分かる。
_ 桃子は、友達が一人もいなくても寂しくないと言うように、強い(または強く見せている)。その強さの中核を成すのは他人と自分を峻別する哲学(ロリータ道)であり、それを捨ててまでして他人に迎合しようとはしない。自分の生き方を守るために他人を遠ざける傾向がある。
_ 美和子は、大富豪の孫娘であることを隠そうとはせず、自然に大富豪しているため、周囲から反発を買っている。しかし、美和子は生来の善意からそれに気づかず、みんなが自分に好意を持っていると信じている。美和子は性善説に基づく哲学を持っていて、それが犯人を前にしての「愛の説教」になり、その的外れさが失笑を買う。それでも美和子は「本当に悪い人はいない」という信念を持って刑事の仕事に励む。
_ 桃子も美和子も、何れも現実にはいないような人物で深田恭子以外には演じられないような役柄だ。では、それがはまり役というだけで片付けられるかというと、そうではない。深田恭子は前述のように両極端とさえ言える二つの人格を演じ分けているのである。
_ 深田恭子はこれまで、等身大の女の子(純粋だがワガママであまり頭が良くなく、いつも自分の生き方を模索している、といったタイプの)を演じていたが(それはそれで成功していたが)、他の若い女優に演じられない役ではなかった。
_ 桃子と美和子を演じるためには、メルヘンチックな要素があるというだけでは足りず、浮世離れした言動を支える強い哲学が必要になる。それは役柄として作られたものではなく、深田恭子が本来持っていたものだ。
_ 非現実的な世界を現出させるためには特別な力が必要で、宗教の教祖が奇跡を起こすか起こしたように信じさせる力に似ている。「富豪刑事」の何れも個性的で濃い役者の中で、美和子が「あのぅ・・・ちょっとよろしいでしょうか?」と言うとき、回り舞台のように世界が一変して輝きをを帯びる。すごい役者だと思う。