_ 圧倒的な悪にとらわれた無力な人間がどのように感じるのか昔から関心があったが、この映画がひとつの回答を示している。
_ ナチスの強制収容所にゾンダーコマンドと呼ばれる収容者の集団がいる。彼らは4ヶ月の命の猶予をもらいその間貨物列車で連れてこられる人々を裸にしてガス室に送り込み、死体を引きずり出し、汚れた部屋を掃除し、死体を焼却し、灰を捨てるなどの労働に従事する。
_ サウルはゾンダーコマンドの一人だったが無表情に淡々と仕事を片付ける。そんなある日死体の中にまだ生きている少年が発見される。ドイツ人の軍医は時々こんなことがあると言いながら少年の口と鼻を手でふさぎ殺す。それをサウルは無表情に横目で見ている。軍医が去り、少年の解剖を命じられたやはり収容者である医者だけが残る。その医者にサウルが近づき、この少年は自分の息子なのでちゃんと葬りたいと言う。サウルは収容所の中をラビを探して走り回る。
_ 映像は背景の画像がぼけていて、ガス室に送り込まれる集団もかろうじて男女が一緒に裸にされているのが分かる程度だ。音響は周りの泣き声や悲鳴がすさまじく会話が聞き取れないほどだ。
_ サウルの周りでは反乱を企てる者たちが武器集めに奔走している。サウルはひたすら無表情にラビを探す。
_ サウルの目を通して見る世界は酩酊状態の外界に似ている。視野は狭くなり、自分の周辺しか見えず、音を聞き分ける能力も衰えやたら騒がしい。判断力もなくなり明日のことはどうでもよくなり当面のことのみに集中する。
_ ナチスの収容所についてはたくさんの映画が作られたが、これが一番真実に近いのではないかと思った。反抗、脱出を企てたり、こびへつらったりして生き延びようとする人たちもいただろうが、多くはサウルのように淡々と無表情に日常を過ごしていたのではないか。そして死がきたらやはり無表情に逆らうことなく死んでいったのではないか。
_ サウルにとって息子が殺されるのを阻止することは明らかに能力の範囲外だった。でも死んだ息子を宗教的に正しく葬ることは可能に思えた。だから彼はそれに集中する。脱出を企てる仲間を裏切る結果になろうともそれは正しいことだった。
_ 法律家としてみると、極限状態に置かれた人間の判断につき、そのような状況に置かれたことがない他人が、自分(または一般人)だったらどうするなどと軽軽に言うべきではないと反省させられる。
_ 眠れなくなるほど不快な映画だが必見!