_ これを人は小泉の自作自演と言うかもしれない。普通この言葉は悪い意味で使われるが、これほど見事に決ると喝采を送らざるを得ない。
_ 小泉は選挙に至る一連の出来事のプロデューサー、脚本化、演出家、更には主演を兼ねていたが、映画・演劇の場合と比べて何がすごいかと言うと、この劇に出演していることの自覚がない人が重要な役割を演じていることである。亀井静香以下の郵政民営化反対派が完全にはめられたことは言うまでもない。
_ 一番面白かったのは森嘉朗前首相だ。彼は参議院での採決の前日、小泉に会いに行った。否決されれば解散という小泉に、そんなバカなことは止めろと説得に行ったのだ。森はビール10缶と干からびたチーズ(後日高級品と判明)でもてなされたが、小泉は森の話に全く耳を貸さなかった。この時小泉が言ったという「郵政民営化は俺の信念だ。殺されてもやる」は歴史を変えることになるだろう。
_ それまでの小泉は、日本の普通のオッサンの感覚を持つ森がみるように、変人であり、常識に反した行動を取ろうとしていたとも言える。反対の意見を力で押しつぶそうとしている圧制者ともみえた。
_ 観客である国民に目を移すと、国民は誰がこの劇のヒーローであるかを見定めようとしていた。そして、カタルシスを求めていた。
_ 刺客の件でこの劇を「仁義なき戦い」になぞらえる人がいるが、全体としては、それ以前の古典的ヤクザ映画に近い。森は大親分で、無謀な殴り込みを考える愚直な侠客の所に赴き、思いとどまるように説得する。しかし、侠客は「殺されてもやる」と説得に応じない。役者で言えば、森は若山富三郎で、小泉は鶴田浩二というところか。
_ ここで観客は、小泉が「本物」であると感じる。政治の世界はウソの世界であり、言葉を担保するものは死しかない。しかし、死は一回性のものなので、言葉の真実性は他の方法で確かめるしかない。その意味で、森の説得はこれしかないというタイミングで行われた。小泉の言葉は、味方ではあるが批判的な大物に対して「偶然」吐かれた、という点で限りなく本物っぽく、人の心を打った。小泉は「命をかけている」と国民は思った。
_ 錦の御旗は、はっきりと小泉の側にひるがえった。どこまで、小泉がこの展開を予想していたかは分からないが、魔術のようでもある。